12:22 そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった。
12:23 群衆は皆驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言った。
12:24 しかし、ファリサイ派の人々はこれを聞き、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言った。
14節に、「ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した」とありましたように、イエス様とファリサイ派の人々との対立が決定的となりました、今日のみ言葉は、イエス様によって「悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人は、ものが言え、目が見えるようになった」ことが記されています。
これはイザヤ書35章に、「そのとき、目の見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く」という預言の成就です。それゆえ、このことを目の当たりにした群衆は驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言ったのです。「ダビデの子」とは、約束のメシア、救い主を表す呼び名です。
サムエル記下の7章には、来るべきメシア、救い主は、ダビデの子孫から生まれると約束されていました。このような旧約聖書の言葉を知っていた群衆たちは、イエス様こそ、そのダビデの子ではないだろうか、と言ったのです。しかし、この群衆の言葉を聞いて、ファリサイ派の人々は、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言いました。
ファリサイ派の人々も、イエス様が悪霊を追い出しておられることは認めていますが、彼らは、イエス様が悪霊を追い出すことができているのは、悪霊の頭ベルゼブルの力によってである、と言うのです。そのようにして、彼らは、イエス様を悪霊に仕える者として殺そうとするのです。
祈り
天の父なる神様、イエス様はその言葉と行いによって約束のメシアであることを示してくださいましたが、当時の宗教指導者であるファリサイ派の人たちは幼子のような心でイエス様のみ言葉を受け止めることが出来ず、聞く耳を持たなかったために、事実を曲げて理解をしてしまいました。私たちが真の意味で聞く耳をもってあなたのみ言葉を聞いていくことが出来ますようにお導きください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。