23:44 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。

23:45 太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。

23:46 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。

23:47 百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。

23:48 見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。

23:49 イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

 

十字架につけられたイエス様は、午後3時近くになって、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」といって息を引き取られました。この時、「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。」と言われています。

 

神殿の幕は、聖所と至聖所を分けているもので、至聖所に神が臨在すると考えられていました。非常に分厚いものでしたから、それが裂けることは考えられないことでしたが、これが真っ二つに裂けたということは、イエス・キリストの十字架の死によって、誰でもが神との交わりを持つことが出来る道が開かれたということを表しています。

 

百人隊長は、イエス様を十字架につけるための任務を受けて、その一部始終を見ていたと思われますが、彼はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美しました。

 

さらに、「見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。」と言われています。群衆たちは、「イエスを十字架につけろ」と叫んでいた人たちですが、イエス様が実際に十字架につけられた有様を見て、彼らは胸を打ちながら帰っていったというのです。

 

「胸を打ちながら帰っていった」ということは、満足して帰ったということではなく、罪のない方を十字架につけたということに対して、負い目を抱きながら帰っていったということです。

 

祈り

 

天の父なる神様、祭司長・律法学者たちに扇動されて、民衆は「イエスを十字架につけろ」と叫びましたが、息を引き取るまでのイエス様の「十字架上の7つの言葉」を聞いたり、捕らえられ、あざけられ、鞭で打たれ、十字架につかれたイエス様の姿を見て、百人隊長は、「この人は誠に正しい人であった」と言いましたし、民衆たちも胸を打ち叩きながら帰っていったと言われています。十字架につけろと叫んでしまった彼らの背後にはサタンの働きがあったと思います。私たちも様々な誘惑を受けることがありますが、さまざまな誘惑や悪の力からお守りください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。