そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」ヨハネ6:67~69
そこで、イエスは十二弟子に言われた。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」(新改訳)
「それだから、わたしはあなたがたに、『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない。』と言ったのです。」(6:65)と言われています。「父のみこころによるのでないかぎり」と言われているように、今私たちが神を知り、信じる信仰に導かれているのは、父のみこころによるのだということです。
今日の聖句は、多くの弟子たちが主イエスに躓いて主の下を離れていったとき、主イエスが弟子たちに、「あなた方も離れていきたいか」という質問を投げかけたところです。66せつには、「「弟子たちのうちの多くの者が離れ去っ
て行き、もはやイエスとともに歩かなかった」と言われているように、多くの弟子たちは去っていきました。これは、もとの生活に後戻りをしたということです。いったんは主イエスの言葉を聞こうとしてやってくるのですが、いずれはなれていく人たちが大勢いることもこのみ言葉は教えています。
しかし、ペテロやヤコブなどの12人の弟子たちは、父の御心によって主イエスとつながるように導かれているのです。ですから、ペテロは、弟子たちを代表して答えました。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。」
キリストの弟子として生きるということのうちには様々な困難があります。この世の多くの人々に調子を合わせるのではなく、自分のやりたいように生きるというのでもなく、神の御心を求めて生きるという人生には、主イエスがこの世の人生を歩まれたのと同じような、様々な誘惑や妨害もあるのです。
悪魔が最も激しくアタックしてくるのは、神を信じる人たちです。彼らは必死になって、人々を滅びに落としいれようとするからです。しかし、イエス・キリストは永遠のいのちの言葉をもっておられます。
祈り
天の父なる神様、多くの人が離れていく中にあって、あなたは主イエスを信じて生きる者を御心に従って集め、守り、導いていてくださることを感謝いたします。まことのいのちを持っておられ、それを与えてくださるあなたとともに生涯歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。