22:57 しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。

22:58 少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。

22:59 一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。

22:60 だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。

22:61 主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。

22:62 そして外に出て、激しく泣いた。

 

ペトロは、先に「「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。」(マタイ26:33)と述べていました。彼は自分自身の信仰についても自信を持っていたでしょうし、「誰が一番偉いのか」という議論が弟子たちの間で起こった時にも、それは自分だという思いがあったのではないかと思われます。

 

けれどもこの出来事によって、彼の自信は打ち砕かれました。他の弟子たちも同じであったと思われます。今日の聖句にあるように主イエスを否んでしまったことはペテロの大きな失敗ですが、彼らが主イエスの弟子として、この後キリストに従っていくために、必要な経験であったということも出来るでしょう。

 

自分自身の無力を知らされ、自分の知恵や努力によってではなく、ただひたすらに神により頼む信仰を与えられる必要がありました。打ち砕かれ、自分自身の罪の深さ、弱さを身をもって知らされて、イエス・キリストのみにより頼む信仰に生かされていく必要があったのです。

 

ペトロが経験したことは、真摯に神と共に生きていこうとする者にとっては、誰もが経験することではないかと思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、神と共に生きる、神を神として生きることを聖書には教えられていますが、真実にそのように生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。