20:25 そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。

 20:26 だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。

 20:27 わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。

 

これまで親しくしていた人に、もう二度と会うことがないという思いで、最後の挨拶をするとき、皆さんだったらどのような挨拶をするでしょうか。パウロはこの時、エフェソの教会の長老たちに「あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。」と述べています。

 

この前の24節、「この命すら決して惜しいとは思いません。」という言葉とのつながりからいうと、このとき、パウロは死を覚悟していたと言えます。パウロはここでエフェソの長老たちに遺言を語っているのです。自分の死を見据えながら、これまでのエフェソでの働きの総括がここで語られています。

 

それが「だれの血についても、わたしには責任がありません。わたしは神の御計画をすべてひるむことなくあなたがたに伝えたからです。」という言葉です。「誰の血についても責任がない」この言葉は、18章にも記されていました。パウロがコリントで、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。」と言ったのです。

 

このパウロの言葉の背後には、エゼキエル書33章に記されている「見張りの務め」の教えがあります。そこで、主なる神は、預言者エゼキエルに、あなたが悪人に警告を与えないならば、その悪人は自分の罪のゆえに死んでも、その血の責任をあなたの手に求めると言われました。パウロはこの責任を果たしていると言ったのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、もう二度と会うことはない最後の別れの挨拶で、パウロはエフェソの長老の方々に遺言として贈る言葉を残しました。それは、イエス・キリストが歩まれたようにみ言葉に聞き従い、聖霊に導かれて歩むことでした。私たちもそのように忠実にあなたの愛にお応えしていくことが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。