20:21 神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。

 20:22 そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。

 20:23 ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。

 20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。

 

パウロの決意が述べられています。イエス・キリストも霊に導かれて荒野の誘惑に遭遇しましたし、十字架への道のりも父なる神の御心をひたすら実現するための歩みでした。

 

パウロも、霊に導かれてエルサレムに行こうとしています。そのエルサレムに行くことによって聖霊は「投獄と苦難とがわたしを待ち受けている」ということをどの町でも示してくださっているというのです。

 

人間の傾向としては、できるだけ苦難を避けようとするのではないでしょうか。何かの目的を達成する場合でも、できるだけ苦しみを避けて安楽な方法で達成したいと思うのではないでしょうか。

 

しかし、イエス・キリストもパウロも、主の御心であればあえて苦難を受けることを選んでいるのです。聖霊はその道へと導かれるのみならず、困難や災いから守り、支えてくださるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、霊に導かれてエルサレムに行くパウロの姿はかっこいいですね。自分を捨て、自分の十字架を追って主に従うというありかたをここにも見ることが出来ます。私たちも主と共に歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。