2:25 ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、/わたしは決して動揺しない。
2:26 だから、わたしの心は楽しみ、/舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。
2:27 あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、/あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない。

「わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。」このダビデの言葉は、彼が主なる神との人格的な交わりにいつも生きていたこと。ただ主を頼って、そこに平安を見出してきた信頼、神様への信仰を表す言葉です。

「だから、わたしの心は楽しみ、舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。」には、ダビデが神に信頼しているゆえに、心は楽しみ、その喜びは舌によって賛美としてあふれ出す。そればかりか、その肉体さえも希望によって健やかとなると言われています。ここには、神に信頼することが心と体、全存在を健やかに生かすようになるという事が歌われています。

「あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない。」という言葉にも、ダビデの神への信頼によって、死んで陰府に行くことがあっても、神は必ず新しい命によみがえらせてくださるという希望が語られています。

神への信仰、神との生ける交わりは、この地上の生涯ばかりではなく、死後の世界においても失われることはないのです。

祈り

天の父なる神様、あなたがわたしを創造し、今日まで育んでくださいましたが、死に際しても、私と共にいて下さり、死の向こうにはあなたとの顔と顔とを合わせて出会うことが出来る復活の命、永遠の命の世界を用意していて下さることは、言葉では表現できないほどの恵みであり希望です。この望みを抱きつつ、主にあって、主と共に歩みつづけることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。