44:13 彼らは衣を引き裂き、めいめい自分のろばに荷を積むと、町へ引き返した。
44:14 ユダと兄弟たちがヨセフの屋敷に入って行くと、ヨセフはまだそこにいた。一同は彼の前で地にひれ伏した。
44:15 「お前たちのしたこの仕業は何事か。わたしのような者は占い当てることを知らないのか」とヨセフが言うと、
44:16 ユダが答えた。「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。この上は、わたしどもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります。」
44:17 ヨセフは言った。「そんなことは全く考えていない。ただ、杯を見つけられた者だけが、わたしの奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい。」
袋を開けてみると、たくさんの食料と共に、銀も入れられており、ベニヤミンの袋からは、銀の杯が見つかりました。このため、兄弟たちは再びヨセフのところに引き返すことになるのです。
「銀の杯が見つかった者」すなわち、ベニヤミンだけが奴隷になると言われたとき、ユダが言った言葉は感動的なものです。彼は、ベニヤミンだけでなく、私たちもみな奴隷になりましょう、と申し出ているのです。ベニヤミンのことを心から思いやっているのです。
「ただ、杯を見つけられた者だけが、わたしの奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい。」というヨセフの言葉を聞いて、ユダだけではなく、他の兄弟たちも、ベニヤミンのことを心にかけて、ベニヤミンだけを奴隷にさせるわけにはいかない、という思いを持っていたと思われます。
祈り
天の父なる神様、この聖書の出来事において、ヤコブの家族を救ったヨセフはイエス・キリストの型であると言えますが、ベニヤミンの重荷を自分も負うことを申し出たユダもまたイエス・キリストの型であるということも出来るでしょう。このように私たちも隣人を自分のように愛することが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。