どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。これはどの手紙にも記す印です。わたしはこのように書きます。わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。2テサロニケ3:16~18

今日の聖句がテサロニケの教会への手紙の結びになります。パウロは、この手紙を終えるにあたって、「主がともにおられるように」という言葉と祈りをもって終えるのです。

私たちの造り主であり、私たちの救いのために一人子さえも与えてくださった神は、真実の義と愛を示してくださり、信仰によって救われるという、私たちが救われるために取り得る唯一の道を、大きな代償を払って切り開いてくださいました。

2章2節には、「霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。」と言われているところから推察されるように、パウロの名をかたって偽の手紙を書き送る人たちもいたようです。

そのこともあって彼は、この手紙の大部分を口実筆記で誰かに書いてもらっていたと思われますが、この最後の文章は、私自らがこの手で手紙を書いていますと付け加えています。

神が共におられること、これこそが私たちにとっての大きな慰めであり、いのちと希望をもたらされることの核心であるといえます。

祈り

天の父なる神様、預言者たちによって語られ、主イエスによって実現されたあなたの救いのご計画を心より感謝いたします。生涯、私が主と共に歩むことが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。