ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。フィリピ2:25~28

テモテにしても、エパフロデトにしても、苦しみや迫害のうちにあるパウロを親身になって助け、支えてくれた人たちでした。パウロとしては、こうした人が自分のそばにいてくれることはどんなに大きな支えであり励みであったことでしょうか。

しかし、だからこそこの人たちをフィリピの教会に送りたいとパウロは願っているのです。それだけ彼のフィリピ教会に対する熱い思いを感じることが出来ます。フィリピの教会の人たちは、彼らが来ることによって、より身近にパウロの様子を伺い、彼のために祈ることもできるでしょう。

このようにキリストの教会は共に生きる共同体です。このことについて、別のところでパウロは次のように教会の姿について述べています。「わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。」(ローマ12:4~5

祈り

天の父なる神様、あなたに導かれて、同じ信仰をもって、共に歩む仲間を与えてくださることを感謝いたします。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。