1:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
世は自分の知恵で神を知ることができない。パウロはこれを神の知恵に適っていると語っています。そして、ここに福音が宣べ伝えられねばならない理由があるのです。神様は、人間をはるかに超えた存在ですので、人間の知恵によって正しく神を知ることは出来ないのです。
ですから、人間が神を知るためには、神によって分からせていただく以外にはありません。神様は御自身をどのようにして表されたのか。それは宣教という愚かな手段によってでありました。神様はキリストを信じる人々の宣教を用いて更に信じる者を救おうとお考えになったのです。
ここで「お考えになった」と訳されている言葉は、元の言葉を直訳すると「喜びとされた」となります。神様は、キリストを信じる人たちを用いて救いの御業を実現していくことを喜びとされるのです。神様はそのようにして、私たち人間を用いて救いの御業を実現していかれるのです。
祈り
天の父なる神様、あなたは人間の自由意思をあくまでも尊重して、強制的に人に信じさせたり、操り人形のように人を動かすことはなさいません。人間の福音宣教によって伝えるという事は、とても忍耐のいることでもありますが、このようにしてあなたの御業が今日も行われていることを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。