3:4 ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。

 3:5 その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、

 3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

 3:7 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、

 3:8 躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。

 3:9 民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。

 

生まれながらに足が不自由で歩くことが出来ないで、神殿の「美しの門」のところまで連れてきてもらって物乞いをしていた人が、ペトロとヨハネの、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」という言葉を聞いて、歩き出し、「歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。」というのです。

 

驚くべきことが起こりました。ペトロは、4章10節を見ると、「あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。」と言っています。

 

これはペトロやヨハネの能力や知恵によったのではなく、イエスの御名によって起こったことなのだというのです。「イエスの名」とは、イエス様ご自身のこと、その実質を表すものです。イエス様の姿は見えなくても、「もう一人の助け主」である聖霊を送って下さり、聖霊において、イエス・キリストご自身が働いて下さっているということが出来るのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、復活されたイエス様は、天に昇って行かれる前、マタイによる福音書の一番最後のところで、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)と言われました。イエス様はやがて天に昇って行かれましたが、聖霊をお送りくださることによって、私たちとともにおられ、私たちを守り、導いてくださいます。そのようなあなたの恵みのうちを歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。