23:24 ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。

 

イエス様は、律法の中の最も重要な正義、慈悲、誠実をないがしろにしながら、十分の一の献げ物を几帳面に守っている彼らに対して、「あなたたちはぶよ一匹さえ漉して除くが、らくだは飲み込んでいる」と言われました。

 

「ぶよ」も「らくだ」も律法によれば、汚れた生き物でした。汚れた生き物は食べてはならないわけです。それで、彼らはぶどう酒にぶよが落ちた場合、それを布で漉して、ぶよを取り除いて飲んだのです。

 

しかし、イエス様はその彼らがぶよよりもはるかに大きいラクダを飲み込んでいる。ラクダのように巨大な汚れたものを自分のうちに入れていると言われたのです。文字通りラクダを飲むことはなかったでしょうが、ラクダに表されるような大きな汚れたものを内に持っているではないか。そうした自分のうちにある罪に気づくべきことを教えておられるのです。

 

イエス様はマタイによる福音書7章3節以下において、「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」(マタイ7:3~5節)と言われました。

 

ここにおいても目の前にある丸太という表現によって、彼らが丸太のような大きなものを目の前に置いているために真実が見えていないことを指摘しておられるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、律法学者やファリサイ派の人たちが陥った過ちは、私たちもまた犯してしまう危険性があります。私には無関係なこととは言えません。むしろ同じような罪を犯してしまう自らの罪を認めて、あなたの憐みにすがることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。