7:12 こういうわけで、律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものなのです。

 7:13 それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。

 

律法が正しく聖い、善いものであるからこそ、それも完ぺきなものであるからこそ、律法によって私たちの罪が際立って示されます。そして恐れ、恐怖を感じます。

 

アダムとエバは、創造された当初は神と共に歩み、何の恐れをも感じることはありませんでしたが、罪を犯した後は、怖くなって神のもとから隠れるようになったのでした。

 

罪を犯した者は、自分の罪を隠そうとします。さらに、自分を正当化しようとして、ごまかしたり、偽ったりして、さらに罪を重ねることにもなりがちです。罪を犯したものは、他の人の罪には気が付いても自分の罪には気づいていないということもよくあることです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちは人と人とを比較して善悪を決めるようなことや、その時点での、その国での法律に基づいて善悪を決めることがありますが、そうしたものは移りやすく、普遍的に確かな基準とはなりません。あなたがお与えになった律法によってこそ、確かな善悪の基準を示すとともに、私たちがあなたの前に罪あるものであることを教えるものです。内在する罪を覚えるとともに、あなたの御手により頼む者とならせてください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。