7:7 では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。

 7:8 ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。

 7:9 わたしは、かつては律法とかかわりなく生きていました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返って、

 7:10 わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。

 7:11 罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。

 

律法は、神の御心であり、神が私たちに与えてくださった人生の指針です。あなたがたはこのように生きていきなさいという思いをもって、神が与えてくださったものです。

 

私たちの人生には、どのように生きたらよいのかという人生の指針が必要です。それも時の移り変わりや状況によって移り変わるような指針ではなく、永遠、不変の指針が必要なのです。

 

ところが、神による指針である律法が与えられた時、私たちはその掟を守ることが出来ない、かえって神に背いて罪を犯してしまうものであることを身をもって示されたのです。その掟は私を罪に定め、殺すものとなってしまいました。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちの人生の指針として律法が与えられたことを感謝いたします。しかし、私たちはかつてのユダヤ人たちと同じように律法を守ることのできない者であり、律法を守ることによって神の義を得ることのできない者です。そんな私たちのためにイエス・キリストをお遣わしくださった事を心より感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。