7:18 割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。

 7:19 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。

 

「割礼の跡を無くそうとしてはいけません。」とありますが、コリントの教会には、割礼を受けたことを恥じるユダヤ人がいたのかも分かりません。そのような人たちは割礼の跡を消したり、割礼を受けたことを恥ずべきことと考えたりする必要はないのです。

 

「割礼を受けていない者が召されたのなら」というのは、「ギリシャ人でイエス・キリストとの交わりに導かれた人たちは」という意味です。異邦人であるギリシャ人は、ユダヤ人たちのように割礼を受ける必要はないのです。

 

それは日本人であっても同じことです。その当時、ユダヤ人の中には、異邦人であっても真実の救いに与るためにはユダヤ人と同じように割礼を受けなければならないと主張する人たちがいたのですが、これはすでにエルサレム会議(使徒言行録15章参照)で決議されたように、異邦人は割礼を受けたり、ユダヤ人たちが行ってきた儀式律法に縛られる必要はないのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちが罪と死の縄目から救われるために、イエス・キリストによって罪のあがないを実現してくださった事を感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。