7:20 おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。

 7:21 召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。

 7:22 というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。

 

この当時、自由人と奴隷という二つの身分に分かれた人たちがおりました。21節には、奴隷でクリスチャンになった人に対して「召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。」と言われています。

 

ところが、新改訳聖書の同じところを見ると次のように言われています。「奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。」

 

口語訳も新改訳と同じように訳されています。まるで正反対のように訳されている理由は、原文が明白ではなく、どちらにも訳すことが出来る言葉になっているためです。私としては新改訳の方を採用したいと思います。

 

祈り

 

今日の聖句は奴隷となっていた人のことに言及されていますが、私たちはみ言葉によって教えられて初めて、自分が罪の奴隷であったことを教えられました。罪の奴隷状態から自分の力や知恵によっては自由になることが出来ませんが、あなたがお遣わしになって御子による御業によって、また聖霊の導きによって自由なものとされていることを感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。