兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。フィリピ3:17~19

パウロは、自分が信仰生活の模範であるということについて、他にも、1テサロニケ1章6節、1コリント4章16節、11章1節、ガラテヤ書4章12節にも言及されています。パウロの生活は、キリストに倣ったものであり、キリストご自身がパウロのうちに働いて、あのような働きを行わせてくださったのです。

「キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。」とありますが、これはキリストが十字架にかかってもたらしてくださった救いの恵みを受け入れようとしない人たちと考えることもできますが、「涙ながらに」という言葉から考えると、これはいったんはクリスチャンになったけれども、異端的な教えにひかれて、福音の恵みから離れてしまった人たちと考えることもできます。

長い間、ユダヤ人たちは、割礼などの旧約の儀式に価値を置いて、これを行うことによってこそ救われると考えてきました。そのために、キリストの苦しみと死だけでは、人の救いのためには不十分であるとするユダヤ人たちも多かったと考えられます。そのようなユダヤ人たちのために、パウロは涙ながらに、彼らの救いを祈りつつこの言葉を述べていると思われます。

祈り

天の父なる神様、私たちにキリストの十字架による福音をもたらしてくださったことを感謝いたします。

十字架の福音のみによって救われることを覚えて、主に在って歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。