エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかし、エリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、サムエルは戻って寝た。1サムエル3章5節

 

少年サムエルは、祭司エリの下で暮らしていましたが、ある日、神がサムエルに語りかける声を聞くのです。サムエルは、エリが呼んでいるのだと思って、エリのところに行って尋ねますが、エリは、「私は呼んでいない」と答えるのです。

 

同じことが3度続くのですが、3度目にエリは、ひょっとしたらこれは神様からの呼びかけかもしれないと思い、次のようにこたえました。「「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。」(3:9)

 

そして彼が横になっていると、サムエルに呼びかけられる神の声を聞くのです。「主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」」(3:10)

 

実をいうと、現在も神は、あらゆる人々に語りかけられています。しかし、聖書が与えられたあとは、聖書によって人々に語りかけられるのです。私たちは、神の語りかけを、わたしへの言葉として、聞く耳をもって聞いているでしょうか。

 

ある時、テレビ局が日本の国民に、「あなたが幸せになるために何がほしいですか」という質問をしましたが、そのアンケート結果では、第1位が時間、第2位がお金でした。時間やお金がほしいという人は、そのことに関心があるということでと思われますが、何のための時間がほしいのかが問題です。たくさんの時間が与えられたなら、あなたは何のために時間を用いたいと思われるのでしょうか。

 

是非、覚えてください。私たちにいのちを与え、私たちに希望と将来を与えてくださるのは神なのです。神に心を向けること、神とともに生きることに時間を使っていきたいと思います。「主よ。お話しください」と言う習慣を身につけていきましょう。そうすれば、人生は期待に満ちたものになる。これが聖書が教えている幸せへの道です。

 

祈り

 

天の父なる神様、わたしは何のために与えられた時間を用いてきたのか。主イエスはそのご生涯を見るとき、自分自身のために時間を用いるのではなく、常に父なる神のために、そして私たちの救いのためにすべての時間を用いられたことを思います。あなたのためにこの与えられた時間を用いることが出来ますように、あなたの御声をきいて、その御心にお応えする事ができますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。