12:9 イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。

 12:10 すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。

 12:11 そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。

 12:12 人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」

 

イエス様が会堂にお入りになると、そこに片手の萎えた人がいました。人々はイエス様を訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねました。この「人々」とは2節に出てきた「ファリサイ派の人々」であると思われます。

 

ファリサイ派の人々は、神様の掟を熱心に守ろうとして、安息日にしてはならない「仕事」にはどのような仕事が含まれるかをリストアップして、細則として定め、それを守るように人々を教え、さらには人々がちゃんと守っているかを監視していたのです。

 

当時のファリサイ派の人々の考えによれば、安息日に治療することは禁止されている労働に当たりました。ただし、例外として、命の危険に関わるときは許されていると考えていたのです。片手の萎えた人は、今日、治療しなければ死んでしまうといった命に関わる症状ではありませんから、ファリサイ派の人々の考えからすれば、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていない」わけです。この人は安息日ではなく、働くべき日に、癒してもらうべきだと指摘したのです。

 

しかし、イエス様はこう言われました。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている」。

 

ここでイエス様は、人々が当然していることを引き合いに出して論じておられます。「誰もが、安息日であっても、自分の羊が穴に落ちれば、手で引き上げて助けてやるではないか。そうであれば、羊よりもはるかに大切な人間を助けてやることがどうしてゆるされないのか?それゆえ、安息日に善いことをするのは許されている」、そうイエス様は言われるのです。

 

ここで言われている「善いこと」とは具体的に言えば、「病気を治すこと」です。ファリサイ派の人々は、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねましたが、イエス様は、「安息日に善いことをするのは許されている、律法に適っている」と言われたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、安息日は、私たちが普段の仕事をやめて休息の時を持つようにとお定めになりましたが、安息日の主であるイエス様は、安息日であっても善いことをすること、人を愛することを願っておられます。あなたの御心のうちに生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。