12:1 そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。

 12:2 ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。

 

イエス様の時代には、安息日は金曜日の日没から土曜日の日没までが安息日とされていました。そして安息日にはあらゆる労働が禁じられていたのです。出エジプト記20章には安息日について次のように記されています。

 

「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。」(出エジプト記20:8~11)

 

特に奴隷などは、一年中休むことなく働かされていた時に、神様は七日を一週間として、七日目には仕事をしないで安息の時を持つように、自分自身を振り返り神に心を向けて礼拝を捧げる時を持つために安息日をお定めになったのです。

 

イエス様が麦畑を通られたとき、弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めました。このこと自体は、してもよいことでした。申命記の2326節には、「隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない」。と言われています。鎌を使って刈り取るほどのことはしてはいけないが、麦の穂を手で摘んでいただくことは出来たのです。

 

ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言ったのは、安息日に麦の穂を手で摘んで食べることが、仕事にあたるのではないかと指摘しているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちのために安息日を定めて下さり、あなたと共に生きる恵みの人生をお与えくださることを心より感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。