では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい。同じことをもう一度書きますが、これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです。エフェソ3:1
迫害の中で主に従うことが教えられてきましたが、迫害の中でなお喜ぶということは、私たちの自然な思いからは決して生まれてくることはありません。
「主において喜びなさい。」という勧めは、もともと主イエスによって語られていたことでした。山上の説教において主イエスは次のように述べておられます。
「義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ5:10~12)
実際に、初代教会のクリスチャンたちは、迫害に遭ったときに喜んだことが使徒の働きには記されています。不思議なことですが、主が彼らと共におられて、その心に平安を与えてくださったのです。
祈り
天の父なる神様、私たちの体を養ってくださるのみならず、魂に平安をお与えくださることを心より感謝いたします。私たちを創造し、私たちに平安をもたらしてくださる方と確かにつながっていくことが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。