このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。「彼のことを告げられていなかった人々が見、/聞かなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりです。ローマ15:20~21

このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」(新改訳)

 

パウロは、異邦人に福音を伝える先駆者としての働きに召されましたから、当時のローマ帝国の世界の文字通り地の果てにまで伝えようとしたのです。だから、まだ福音が伝えられていないところがあれば、そちらに開拓伝道に行くような働きを続けていきました。

 

今やキリスト教は、世界中に伝えられているといってもよいほどになっていますが、日本においても、教会のない町や村がありますし、教会があってもその町の人々にくまなく伝えることはなかなか難しいことを感じています。しかも神を離れたこの世界にあって、救いを必要としている人は無数におられるのです。ですから、主イエスが、次のように言われた言葉は、まことにその通りだと思います。

 

「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」」(マタイ9:36~38)収穫のための働き手がさらに多く与えられますように、祈っていきたいと思います。

 

21節のみ言葉は、イザヤ書52:15からの引用です。そこには「それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見/一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。」と言われています。マタイ7章には、「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」(マタイ7:29)とあります。主イエスの言葉にも行動にも、これまで人類が見たことのない権威がありました。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたはアブラハムに約束された恵みの契約を実現し、異邦人である私たちにも祝福に与るものとしてくださいましたことを心より感謝いたします。愛と権威をもってこの世に来てくださった主イエスが、共にいてくださることを覚えて、主にあって日々を歩むことが出来ますようにお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。