神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。ローマ8:28~29
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。(新改訳)
パウロは、28節で、「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」と語りました。なぜそのように言うことができるのかというと、その理由が29節に記されています。
29節でパウロは、神の永遠の救いの計画のことを伝えるのです。神が私たちに約束しておられるものは永遠の救いです。永遠のいのちと言われることもあります。主イエスは、「悔い改めて子どものようにならない限り、決して天の御国には入れません」と教えています。子供のようになるというのは、幼児が両親を信頼してその言葉を聞くように、神の言葉を信頼してこれに聞き従うようになることです。
しかし、盲目に従うということではありません。いつまでも乳を飲んでいるような姿ではなくイエス・キリストに向かって成長していくことも教えられています。「聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。」(エフェソ4:12~15)
目標は非常に高いですね。しかし、永遠のいのちが与えられるということは、最終的に(死んだ後の復活の時には)私たちは、イエス・キリストのような姿に、もはや罪もなく汚れもない朽ちない者に変えられるのです。
祈り
天の父なる神様、あなたは信仰によって生きるようにと私たちに教えてくださいました。信仰によってまだ見ていない事実を確認し、あなたが約束してくださっている祝福を待ち望みつつ生きることができるようにお導きください。
この世においては様々な試練や苦難がありますが、既に世に勝っておられるキリストの御名を仰ぎつつ、ともにいてくださるあなたに働きに委ねて生きることができますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。