さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。フィリピ2:19~21

この手紙を書いているとき、パウロは牢獄の中にいて自由が阻まれている状態にありました。自由の身であればフィリピの教会にも行きたいと願っていたことでしょう。しかし、自分ではいくことが出来ないのでテモテを遣わそうとしているのです。

「テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。」と言われているように、テモテは、かねてよりフィリピの教会のことを心にかけて、この教会の様子を理解しながら祈り続けてきたようです。

このように、ある人たちを気に掛けるということは、私たちにもあることですが、テモテやパウロがフィリピの教会を心にかけていたように心にかけること、それはイエス・キリストが弟子たちを心にかけていたようなものに近いと思われますが、そうした心にかける在り方が、私たちにも求められているといえます。

祈り

天の父なる神様、主イエスが私たちのことを気にかけてくださったように、それにならって隣人となることが出来ますように、私たちの働きをお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。