3:5 しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。
3:6 決してそうではない。もしそうだとしたら、どうして神は世をお裁きになることができましょう。
3:7 またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。
3:8 それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」とも言えるのではないでしょうか。わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、こういう者たちが罰を受けるのは当然です。
「わたしたちの不義が神の義を明らかにする」と言われています。すべてのことが正しい世界であれば、それが当たり前になっていて、善と悪というものの区別さえ存在しません。
神様が最初にアダムとエバを創造なさって、人類に罪が入る以前はそのような状態であったと言えます。そこに把握というものが存在しなかったのです。しかし、今私たちが住んでいるこの世界は、善と悪が混在している世界です。
これに対して、神の国は完全なる正義の世界であり、罪も悪も存在しない世界です。罪ある者は、決して神の国に入ることは出来ません。それは大小の問題ではなく、わずかな罪であったとしても罪を犯した者は神の裁きを受けなければならないのです。
祈り
天の父なる神様、罪が入ってしまったこの世界にあって、私たちは様々な困難や苦悩を経験しているものです。それは他からの罪だけではなく自らのうちにある罪のために悩まされることもあります。そのような私たちのために根本的な罪と死からの解放をもたらすあなたの救いの御業を感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。