「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」箴言16章9節

人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。

どのような人であっても、人は自分自身のことを考えます。何を食べようか、何を着ようか、どこに住もうか、どのように生きていこうかと考えるでしょう。釈迦の言葉に、「天上天下唯我独尊」という言葉があります。自分という存在はこの世に一人だけ、だから尊いという人間の尊厳を説いた言葉ですが、この考え方はどこまでも、自分が中心であるという考え方です。

 

しかし、聖書は、自分を超えた存在があり、その方によって私たちは生かされているのだと教えているのです。神によって創造された私たちは、ひとりひとり尊い存在であることは間違いありませんが、自分を中心にして物事を見ていくときに、私たちは大切なことを見失ってしまうのではないかと思います。

 

事実、私たちは、自分を中心として生きるように創造されたのではなく、神と共に、神の恵みのうちに、他の人々や他の被造物を愛し、神とその秩序のもとに生きる存在とされているのです。

 

自分が神のようになり、それぞれが思い思いに生きていこうとするときに、様々な問題が生まれてくるのではないでしょうか。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちはあなたなしには、存在することも、生きていくことも出来ない者です。すべての良きものはあなたによって与えられ今日も生かされている恵みを感謝いたします。今日も主にあって生きるものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。