1:26 それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、
1:27 同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。
1:28 彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。
この世界に罪と悪がはびこっているのを見て、「神がおられるならどうしてこんな罪の世界や不条理が続いているのだ」と言う方がありますが、聖書は、この点について、「彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。」と述べています。
罪の責任は神にあるのではなく人間にあると言われているのです。罪の恐ろしいことは、罪を犯している本人がその罪に気が付かないというところにあります。特に神を神としてあがめようとせず、神以外の偶像に心を向けてしまうことが罪であるということを自覚することが出来ません。
神を認めようとしない罪のために、神はその人たちを無価値な思いに渡されたというのです。無価値な思いとは、肉の思いとも言われますが、それはガラテヤ書5章には次のように記されています。
「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。」(ガラテヤ5章19~21節)
祈り
天の父なる神様、私たちの心は罪に穢れているので、肉の思いがあります。このような思いを取り去り、あなたを慕い求めるきよい心へと作り変えてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。