7:22 かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」
「かの日には」と言われているように、ここでは世の終わりにおける神の裁きのことに言及されているのです。ここに出てくる大勢の人たちは、その時主に向かって『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』というであろうと言われています。
この人たちは、イエス・キリストの御名によって預言し、悪霊を追い出し、奇跡を行ってきたというのです。これは表面的には素晴らしい働きのように思われます。けれどもそうしたことが、神の国に入ることの保証にはならないと、イエス様は言われるのです。
さらに、そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』と言われています。彼らは「不法を働く者ども」と言われているのです。
前回は、行いの伴う信仰こそが真実の信仰であることを記しましたが、この行いは、神の御心にかなう行いであることが重要です。どのような心をもってそれを行ったのかを主は見ておられます。イエス様がファリサイ派の人々を批判された大きな問題はここにありました。彼らには愛がなかったのです。
1コリント13章には、「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」(1コリント13:1~3)
イエス様が、私たちに、「新しい掟」として教えてくださった事も、古くから与えられていた律法も「まことの愛」から出た働きであることを私たちに求めているのです。
祈り
天の父なる神様、私たちが考えることも行動することも、あなたへのまことの愛をもって行うことが出来ますようにお導きください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。