あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。(ルカによる福音書 1章37節)
神にとって不可能なことは一つもありません。
今日の聖句は、天使がまだ処女であった主イエスの母マリヤに、聖霊によって救い主であるイエス・キリストを身ごもることを告げた時の言葉です。親類のエリサベト叔母さんは、長い間子供がなく、不妊の女と言われていましたが、神によって子供を宿していることを告げられます。かって、もう年老いているアブラハムとその妻にも、神は、その祝福の恵みを受け継ぐ子供が生まれることを約束し、その通りにイサクが生まれることもありました。
このように、神は旧約聖書に告げられてきた救いの約束が、ついに母マリヤから生まれる子供であるイエス・キリストを通して実現することを告げられたのです。マタイによる福音書では、主イエスの父親であるヨセフにも、次のように言われました。「「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」(マタイ1:20~22)
実際には、神のご性質上出来ないことがあります。それは、罪を犯すこと、不正を働くこと、嘘をつくこと、約束を破ること、などは神には実行する力はあっても、決してなさらないことです。これは人間の場合に置き換えても、罪を犯したり、嘘をついたり、約束を破ったりするような人はあまり信用することが出来ません。
しかし、神は、語られた約束は必ず実行なさるお方です。
祈り
天の父なる神様、どんなことでもできる実力と力を持ったお方が、私たちを愛するがゆえに、ひとり子イエス・キリストを人として生まれさせ、弱さを身に追って十字架の苦しみをも引き受けて、私たちの罪を贖ってくださいましたことを、心より感謝いたします。主の愛と恵みのうちを歩ませてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。