だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう。そうなれば、わたしが再びあなたがたのもとに姿を見せるとき、キリスト・イエスに結ばれているというあなたがたの誇りは、わたしゆえに増し加わることになります。フィリピ1:24~26

パウロ自身は、「この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。」と語っていますが、この地上に残されている人々が一人でも多く救われることが出来るためには、なお「肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。」と述べています。

日本においても、かっての戦争中はキリスト教会への弾圧や迫害がありました。ある小学校では、ある小学生が神社参拝をしないといったために、その子供の親たちが呼び出されて、「お前は天皇に従うのか、キリストに従うのかどちらだ」と言われて、「私はキリストに従います」と答えたところ逮捕され、拷問を受けることになりました。

パウロが、「肉にとどまる」というとき、同じような迫害を受けることを意味していました。それでも、神の御心は、一人でも多くの人がキリストの福音を聞いて、その罪を赦され、キリストによる救いに与ることを彼は知っていましたから、迫害を受けることは承知の上で、肉にとどまることも彼の喜びとして覚えているのです。

祈り

キリスト教信仰は、単なる知識や教養の域ではなく、私たちの永遠の将来を左右するものでもあります。主イエスが私たちのためにしてくださった恵みと愛の大きさを知り、あなたの御心に近づくものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。