11:19 すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。

 11:20 そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。

 11:21 神は、自然に生えた枝を容赦されなかったとすれば、恐らくあなたをも容赦されないでしょう。

 11:22 だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。

 

聖書には、「恐れるな」という神様からの言葉がよく出てまいります。そのようにこの世の出来事や人を恐れることはない。なぜなら、神と共に生きようとしている者には神が共にいて守り導いてくださるからです。

 

それと共に覚えておきたいことは、同じ神様が次のようにお語りになっていることです。「だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。」(ルカ12章5節)

 

私たちは、「殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っておられる方」をこそ恐れるべきなのです。「だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。」と言われているとおりです。神の慈しみを考えるだけではなく、神の厳しさをも考える必要があるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたの慈しみと厳しさを考えて生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。