神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。ローマ8:14~16

神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。(新改訳)

 

「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。」肉によって歩む者と、御礼によって歩むものとが対比されていましたが、ここには神の霊に導かれて生きるクリスチャンは「神の子」であると言われています。

 

クリスチャンとはどういう人なのかについて。

一つにはクリスチャンとは、「神の子」であるということができます。

またもう一つは、クリスチャンとは、「神のしもべである」ということができます。これもすでに記されてきたことです。

そして、そのように御霊に導かれている人がクリスチャンです。

神の子であるとともに、神のしもべであるということを覚えていきたいと思います。どちらか一方ということはありません。

 

父なる神とイエス・キリストの関係を見るとき、主イエスは、文字通り神の子でしたが、100%主のしもべとして歩まれたことが分かります。

 

「御霊に導かれる」ということは、はっきりと罪と戦って神の御国とその義を第一に求める生き方をすることです。御霊によって歩んでいると同時に肉に従って歩んでいるということはありません。御霊によって歩むなら、決して肉の欲望を満足させるようなことはないのです。御霊と肉は互いに逆らい、互いに対立しているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたはイザヤの書において、「あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」(イザヤ43:1)と言われました。罪と死に支配されていたもの、それに属していた者が神に属するものとされ、神の恵みの御手の中に生きるようになるために主イエスは来てくださいました。

神の子であり神のしもべであることの意味を覚えつつ、あなたの御心のうちに歩み行くものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。