24:45 「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。
24:46 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
24:47 はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。

今日のみ言葉においてイエス様は、「忠実な僕と悪い僕」の話をしておられます。「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。」

イエス様は、「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか」と言われました。これは私たち一人一人に問われている問いでもあります。「わたしは忠実で賢い僕であろうか」。そのような問いを抱きつつ、二人の僕について見ていきたいと思います。

イエス様は、「主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである」と言われています。この僕は、主人が帰って来たときに、たまたま主人に言われたとおりにしていたのでなく、いつも主人に言われたとおりにしていたと考えるべきです。

イエス・キリストを信じて生きるように導かれた者は「イエスは主である」と告白する者たちですが、それは言い換えれば、「イエス様が私の主人であり、わたしはイエス様の僕である」ということです。日曜日の午前中の礼拝の時だけではなくて、私たちは、いついかなる時も、イエス様の僕なのです。イエス様の僕としていつも歩んでいるならば、主がいつ来られても、主のお褒めにあずかることができるのです。

祈り

天の父なる神様、あなたが私の主人であり、私はあなたの僕であるという事を教えられて、イエス様を、「わが主、わが神」と告白するようになった者は、口先でそのように告白するばかりではなく、そのように生きることが求められています。あなたの願いは、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することです。主と共に、神を神として生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。