足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。ローマ3:15~17

「彼らの足は、血を流すのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。また、彼らは平和の道を知らない。」(新改訳)

 

「主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創世記2:17)と言われていたように、神に背いて、園にある善悪を知る木の実からとって食べた時に人は死んでしまいました。

 

聖書において「死」とは、神との断絶状態を表すものです。神との関係が正常なものではなく、損なわれたものになってしまっているということです。罪が入ってしまった時に人は神の前に立つことのできないものとなってしまったのです。

 

「足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。」この言葉を読んで、この世界(あるいは日本)の歴史を振り返る時、絶えず争いが繰り返され、戦争が繰り返され、破壊する武器も次第に強力なものになってきた(大量破壊兵器を持つようになった)歴史であることを認めざるを得ません。

 

誰もが平和を求めているはずなのに、平和を作り出すことが出来ないでいる人類の姿を見るのです。「破壊と悲惨がある。平和の道を知らない。」のは、人間が、自分を絶対者にしようとするからです。主イエスは、受難のしもべとして旧約聖書において示されているように、私たちを愛するがゆえに苦しみを受けて救いの御業を実現してくださいました。そして、次のように言われるのです。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたの下から逃げ出そうとしたアダムとエバに対して、あなたはやがて女の子孫である救い主を与えてくださることを約束してくださいました。その約束は、今から2000年前に神の御子イエス・キリストの誕生によって実現しました。わたしの心の中にも罪の思いがあります。しかし、あなたは聖霊によってわたしの心にイエスをわが主と信じる信仰を与え、キリストの救いに与るものとしてくださったことを感謝いたします。

憎しみのあるところにゆるしを、争いのあるところに平和をもたらすものとしてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。