9:1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。

9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。

9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。

9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。

 

神がノアと彼の息子たちを祝福して言われた「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」という言葉は、かつて神がアダムに言われた言葉と同じです。神は人類がされに増え広がっていくことを願っておられます。

 

しかし、アダムの時には、人間は食べ物として植物だけを与えられていましたが、これからは力によって動物を支配し、動物の肉を食べてもよいこととなり、それらは、「あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。」ということになりました。

 

これは人間の罪のために動物との間の平和が破られていくことにもなりました。「共生」という在り方から力をもって「支配」するという在り方が加わってきたのです。

 

しかし、「血は命であるから、血を含んだまま肉を食べてはならない」と言われました。申命記1223、レビ記171014にも血は命であるということが教えられています。この教えのために、ユダヤ人たちは今も血抜きした肉しか食べません。

 

ところがそのようなユダヤ人たちに、主イエスは人の子の血を飲むように言われました。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。…わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。…わたしの血はまことの飲み物だからである。」(ヨハネ6:53~55)

 

これを聞いたユダヤ人が「実にひどい話だ」と言ったのも無理はありません。しかし、レビ記によってこの言葉の真意が分かってくるのではないでしょうか。主イエスの血によって、私たちは主の命をいただいたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、「殺してはならない」という戒めを与えてくださったように殺すことを禁じておられますが、私たちの罪を贖うためには尊い御子が(私たちの身代わりに)罪の刑罰を受け、血を流して自身のいのちをささげてくださる必要がありました。そのためにクリスマスにお生まれになった御子の誕生を心から感謝いたします。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。