兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。コリント人への手紙第二1:10
ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。(新改訳)

 

苦難のゆえに、「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。」と言われています。非常に厳しい、耐えがたいほどの苦難があったからこそ、パウロは、自分を頼りにするのではなく、神を頼りにするようになったと述べています。

 

現在、私たちの国日本では憲法によって信教の自由が保障されていますが、パウロが福音を伝えていった当時のローマ帝国において、クリスチャンは非常に厳しい迫害を受けました。それにもかかわらず、キリストの福音を信じる人たちがローマ帝国全土に広がっていったのです。

 

イエス・キリストの直属の弟子たちは皆、殉教の死を遂げたと言われていますし、パウロもおそらくは殉教の死を遂げたのではないかと考えられています。しかし、彼が述べているように、神が彼らを守り、導き、ついには栄光の御国に導きいれてくださることは間違いないのです。

 

私たちは、パウロや弟子たちのような迫害に遭遇することは無いかもしれませんが、数々の試練を通してキリストに導かれ、神に頼るものとされている一人ひとりであると思います。これからも、どのようなことが私たちの行く手に起こるのか分かりませんが、何が起こったとしても私たちは神の御手の内にあることを覚えて、主の御あとに従う者でありたいと思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちは真実に頼るべきものを求めて生きてきましたが、あなたが私たちの心に働いて、身を持って私たちがより頼むべきお方を示し、御霊によってお導きくださるることを心より感謝いたします。

あなたの御手にすべてを委ねて生きる者とならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。