3:19 だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。
ペトロは、「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」と語りました。自分の犯した罪というものは、本来、消し去ることの出来ないものです。
裁判官にわいろを渡して、「無罪」という判決が下されたとしても、神様の目は節穴ではありません。神は私たちのすべての行い、心の中で思ったことも知っておられます。嘘をついたことや人を見下してしまったこと、「愛は自分の利益を求めず」(1コリント13:5)とありますが、自分の利益を求めることを考えてしまったこと、などあらゆる罪を神は知っておられるのです。
そうした罪が赦される根拠は、イエス・キリスト以外にはありません。私たちの犯した罪は自分の力や知恵によって消し去ることは出来ません。この罪が赦されるためには、他の誰かが、それも神の前に全く罪を犯したことのない誰かが、私の罪を肩代わりしてくださり、身代わりに私の罪の責任を負ってそのいのちを捧げてくださる以外にないのです。
そのようなお方が、この人類史上どこかにいるでしょうか。そうです、神の御子であるイエス・キリストが、私の罪(の責任)を担い、私の身代わりに罪の報いを受けてくださったのです。
祈り
天の父なる神様、ペトロは、「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」と人々に訴えました。他の何を差し置いても自分の罪が神様の前に消し去られること、これこそ私たちの人生において最重要課題であるということが出来ます。人はその罪をどうすることも出来ませんが神様がその道を開いて下さっていることを心より感謝いたします。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。