14:23 教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか。

 14:24 反対に、皆が預言しているところへ、信者でない人か、教会に来て間もない人が入って来たら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、

 14:25 心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と皆の前で言い表すことになるでしょう。

 

23節には、「教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか。」と言われています。

 

意味が分からない言葉を皆が話しているのを外から来た人が見たら、「気が変になった」と思うでしょう。しかし、意味の分かる預言で話すのを聞いたなら、それを聞いた人は自分の非や罪を知らされて神を礼拝するようになるだろうというのです。

 

実際にそのようになるかどうかは別としても、外から来た人々が、自分の罪を知らされ、「ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられます」」と告白するようになるためには、少なくともわかる言葉で語られなければならないことは言うまでもないことでしょう。

 

祈り

 

天の父なる神様、相手に分かるように伝える事、相手に理解されること、信頼関係を結ぶことは難しいことです。うまくいかないときには相手のせいにしてしまうこともありますが、先ず何よりも自分自身のあり方を振り返ってみることが必要であると思います。自分自身があなたによって変えられますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。