4:17 わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。
「艱難」とは困難なことに出会って苦しみ悩むことですが、パウロは、「わたしたちの一時の軽い艱難」と表現しています。パウロ自身、イエス・キリストの福音を宣べ伝えるために数多くの困難を経験いたしました。ユダヤ人たちが、「パウロを殺すまでは食事をしない」と誓い合って彼を殺害しようとしたり誹謗中傷したりして来たのです。ローマ帝国による迫害によって多くの使徒たちは殉教の死を遂げていきました。
11章23節以下には、彼が受けた艱難について記されていますが、それは筆舌に尽くしがたいほどの激しいものでした。けれども彼はそれを「一時の軽い艱難」と呼んでいるのです。それは、やがてもたらされる「比べものにならないほど重みのある永遠の栄光」と比べているからです。
マタイによる福音書5章で主イエスは次のように言われました。「義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ5:10~12)
祈り
天の父なる神様、主の御名を信じて生きたかつての預言者たちや使徒たちのように、艱難の中にあってもやがてもたらされる「比べものにならないほど重みのある永遠の栄光」を仰ぎ見ながら、希望と喜びをもって生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。