3:15 このため、今日に至るまでモーセの書が読まれるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっています。
3:16 しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。
3:17 ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。
3:18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
パウロがこの書簡を書いた頃もそうでしたが、今もなお多くのユダヤ人たちは、モーセが書いた律法の書や、旧約の預言の書などを読みながらも、それが指し示しているメシアがイエス・キリストであることを見ようとはしていないのです。
そのため、せっかくの神の言葉である聖書を読みながらも真理を知ることが出来ないでいるのです。「しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。」覆いがかかっているために真実を見れないでいる人たちが、主に向きなおれば覆いが取り除かれるのです。
そして、聖霊に導かれて、「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられて」いくという神の恵みのうちに生きる人生へと導かれていくのです。
祈り
天の父なる神様、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていくというとても大きな恵みの世界に私たちをお招きくださることを感謝いたします。少しずつであっても、主がともにおられて、そのお姿に近づいていくことが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。