12:36 言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。

 

「人は自分の話した言葉によって責任を問われる」というイエス様のみ言葉を読むと、どのような言葉を語るのかということを深く考えさせられます。神様は、私たちの心の思いも語った言葉もすべてをご存じだからです。

このようなイエス様の御言葉を読むとき、もう何も言えなくなってしまうのではないか、と思ってしまいますが、しかし、これまでの文脈からすれば、ここでの「つまらない言葉」とは、24節の、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」というファリサイ派の人々の言葉です。

イエス様は、そのようなつまらない言葉を語った彼らに対して、「裁きの日には責任を問われる」と言われるのです。それは、言い換えれば、「自分の言葉によって罪ある者とされる」ということです。マタイは、1217節以下で、イザヤ書の預言を引用し、イエス様こそ、神の愛する独り子であり、神の霊を授けられたメシアであると記しました。

その聖霊の働きを悪霊の働きとし、イエス様を魔術師呼ばわりする者は、その自分の言葉によって、罪ある者とされるのです。つまり彼らは自分の語ったつまらない言葉によって、自分をイエス様の救いにあずかれない者としてしまうのです(ヨハネ8:24参照)。

 祈り

天の父なる神様、心で思う事、語る言葉があなたのみこころにかなうものとなるように御霊によってお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。