3:7 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、
3:8 躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。
金や銀はもっていないが、持っているものがある。いや、金や銀よりも遥かに素晴らしい宝がある。そのもっているものをあなたにあげよう。このようにペトロは語り、そしてこう命じるのです。「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
そして、右手をとって彼を立ち上がらせたのです。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだしたのです。この「躍り上がって」という言葉は、イザヤ書35章に記されている救いの成就を思わせる御言葉です。
イザヤ書35章5~6節には、「そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。」と言われています。
ペトロは、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」と言いました。このペトロが持っているものとは、一体何だったのでしょうか。それは、この足の不自由な男を、イエス・キリストの名が立ち上がらせ、歩かせることができるという信仰です。
このイエスへの信仰をまずペトロ自身が持っていたのです。ペトロ自身が、イエス・キリストの名は、この男を立ち上がらせ、歩かせることができると信じていたのです。そのペトロの信仰が、ここで、この足の不自由な男にも共有され、そして、この人の信仰となったのです。
祈り
天の父なる神様、足が不自由なために物乞いをして暮らす以外になかった人が、ペトロたちに出会うことによって、さらに言えばペトロと共に働く主イエスに出会うことによってその足を癒され、神の御名をほめたたえるようになりました。主の恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。