あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。ローマ人への手紙12:14-21
昨日は、主イエスが十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈られたことを見ましたが、今日のところでもパウロは、「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。・・・だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」と教えています。
このような教えは、なるほどそうでなければ平和を作り出すことはできないだろうなあ、とは思っても、これを実行することは難しいことですね。我が内に働いてくださる聖霊の働きなしには出来ないことでしょう。
そのためにも私たちが、砕かれた心で神の御言葉を聞き続けることが大切であることを思います。
みことばを聞く時の姿勢は、例えば、重い皮膚病の人が、ひれ伏して「主よ、御心でしたら私を清めることがおできになります。」と言ったように、また復活の主イエスで出会った時のトマスがひれ伏して、「我が主よ、我が神よ」と言ったように、主イエスを自分自身の「主」としてお迎えすることです。
後半は、「復習しない」ことが語られます。これは、弟子たちが「何度まで人を赦すべきでしょうか」と尋ねた時、「7たびを70倍するまで赦しなさい」(マタイ18:22)という主イエスの御心とも共通するものです。
祈り
天の父なる神様、自分を知者だとするような思い上がった心を打ち砕き、砕かれた心であなたのみ言葉を聞くことが出来ますように。そして主イエスの御心に少しずつでも近づくことが出来ますようにお導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。