12:43 主はモーセとアロンに言われた。「過越祭の掟は次のとおりである。外国人はだれも過越の犠牲を食べることはできない。
12:44 ただし、金で買った男奴隷の場合、割礼を施すならば、彼は食べることができる。
12:45 滞在している者や雇い人は食べることができない。
12:46 一匹の羊は一軒の家で食べ、肉の一部でも家から持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない。
12:47 イスラエルの共同体全体がこれを祝わなければならない。
12:48 もし、寄留者があなたのところに寄留し、主の過越祭を祝おうとするときは、男子は皆、割礼を受けた後にそれを祝うことが許される。彼はそうすれば、その土地に生まれた者と同様になる。しかし、無割礼の者は、だれもこれを食べることができない。
12:49 この規定は、その土地に生まれた者にも、あなたたちの間に寄留している寄留者にも、同じように適用される。」
出エジプトをした人々は、イスラエル人だけではありませんでした。ほとんどはイスラエル人であったと思われますが、エジプト人や近隣に住む人々な中には、イスラエルの神を信じるようになり「わたしもイスラエルの神を信じて一緒に行きたい」という人たちも一緒に出ていったのでした。
彼らもやがて割礼を受けるようになり、神を礼拝し、神に従って生きていこうとするのです。
すでに旧約の時代から異邦人もまた救われるという神の救いの御計画は示されていたのです。
神は、「イスラエルの共同体全体がこれを祝わなければならない。」とイスラエルの人々全員が過ぎ越しを守り続けるようにと言われました。
過ぎ越しは、神の救いの働きが、やがてイエス・キリストによって同じように裁きと解放という形で実現されることを表しているからです。しかし、イエス・キリストの場合は、神の裁きは、罪のない神の御子の上に下されたのでした。
それは預言者イザヤが預言していた通りでした。「彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ書53:5)
祈り
天の父なる神様、ユダヤ人だけではなく、異邦人をもイエス・キリストによる救いに与ることが出来ることを感謝いたします。あなたのひとり子という大きな代償を払って与えられた恵みに応えて生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。