8:4 大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。

8:5 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。

 

イエス様はある時種まきのたとえをお語りになりました。

「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。」と言われています。これはたとえで言われていることですが、福音を伝道する人たちが、いろんな人たちに伝道していきます。その場合に、それを聞く人たちの心が、どのような心でそれを受け止めるかによって、種がやがて芽を出し、成長して花を咲かせ、実を実らせるようになるか、あるいはならないかということを説明しておられるのです。

 

日本の農家の場合は、耕作地を耕したり、元肥を入れて、畝を作って、あるいはポットに種をまきますが、当時のイスラエルにおいては、農家の方々は、土地がどのようなところであるかに関わらず、大雑把に種をまくことがよくあったようです。

 

そのようにして、道端にまかれた種は、地面が硬くなっており、その上を人が歩いたり、家畜がその上を踏んだりしていますから、その種は根が張って目を出すことが出来ないまま、鳥が来て食べてしまうようなことになってしまいます。

 

このたとえ話の意味についてはもう少し先のところで教えられていますが、道端のようなところに落ちた種は、芽を出して実を結ぶことが出来ません。

 

祈り

 

天の父なる神様、種まきのたとえを通して、私たちがどのような心をもってあなたを求め、あなたと共に歩んだらよいのかを教えてくださり、ありがとうございます。この心にあなたのみ言葉が根を張り、芽を出し、豊かないのちのみを実らせることが出来るようにお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。