4:8 あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。
4:9 考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。
パウロは、コリントの信徒たちが既に満足し、既に大金持ちになっており、自分たちを抜きにして、勝手に王様になっていると語ります。もちろん、これはパウロの皮肉です。実際、コリントの信徒たちが王様になっているわけではありません。しかし、彼らは自分が王様になっているかのように高ぶっていたのです。
これに対して、パウロは王様になるどころか、神は自分たちをまるで自分たちを死刑囚のようにされたと述べています。古代のローマ・ギリシャ世界においては、円形闘技場の最後の見せ物として、死刑囚を野獣と戦わせるということが行われていました。
パウロは自分たちはその死刑囚のように、世界中に、天使にも人にも見せ物とされていると言うのです。コリントの信徒たちが既に勝手に王様のようになっているのに対して、神様はパウロたちを死刑囚のようにされているというのです。
祈り
天の父なる神様、コリントの教会の人たちは、経済的に富んでおりましたが、自分が地があたかも多さまであるかのように高ぶってしまうことがあったようです。私たちも高ぶることがありませんように。へりくだって主と共に歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。