御子の命によって救われる 公開日:2018年6月8日 ローマ書 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただい […] 続きを読む
主イエスによって示された神の愛 公開日:2018年6月8日 ローマ書 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。 […] 続きを読む
苦難・忍耐・練達・希望 公開日:2018年6月8日 ローマ書 わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。ローマ5:3~4 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品 […] 続きを読む
艱難さえも喜ぶ 公開日:2018年6月8日 ローマ書 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。ローマ5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。(新改訳) 艱難を誇りとする、艱難を喜ぶ、これは私たちの普通の感覚ではありえないことではないでしょうか。苦し […] 続きを読む
神の栄光に与る希望 公開日:2018年6月8日 ローマ書 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。ローマ5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで […] 続きを読む
神との平和 公開日:2018年6月8日 ローマ書 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、ローマ5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神と […] 続きを読む
信仰によって義とされる恵み 公開日:2018年6月8日 ローマ書 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。しかし、 […] 続きを読む
望みを抱いて信じる 公開日:2018年6月8日 ローマ書 「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。彼は希望するすべもなかったときに、な […] 続きを読む
信仰の父、アブラハム 公開日:2018年6月8日 ローマ書 神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止された […] 続きを読む
割礼によるのでなく信仰によって 公開日:2018年6月8日 ローマ書 では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてから […] 続きを読む