というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。フィリピ1:19~20

使徒の働きにも記されているように、当時は、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることは、迫害の対象となり、例えば、食を奪われ、家を失い、家族とも引き裂かれ、投獄され、命の危険にさらされることでした。

私が思うのに、そのような危険やリスクを冒してまでキリストの福音を伝えることは、人の思いによっては不可能なことです。そこに神が働いてくださったことは言うまでもありません。

主イエスは、天に上げられる直前に次のように弟子たちに言われました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)そして、今やこの言葉の通りに地の果てにまで福音が伝えられている様を見ることが出来ます。

祈り

天の父なる神様、あなたが与えてくださる希望は、この世にあっては、すでに天に国籍を持つものとして、試練の中にあってもお守りくださり、やがてあなたの家に永遠に住むことです。この希望は決して失望に終わるものではないことを覚えて歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。