そして、兄弟たち、あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい。もし、この手紙でわたしたちの言うことに従わない者がいれば、その者には特に気をつけて、かかわりを持たないようにしなさい。そうすれば、彼は恥じ入るでしょう。しかし、その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい。2テサロニケ3:13~15
教えに従おうとしない人たちがいた場合、どのように対応するのかは教会の指導者たちに委ねられていたようです。ここでパウロが勧めていることは、そうした人たちとはかかわりを持たないようにすること。それによってその人自身が恥じ入るようになって本心に立ち返るようにしなさいということでした。
これは教会から破門するというような厳しい処置ではなく、その人が自らの罪を自覚して、真心から神に立ち返るように忍耐強く、祈りつつ待ち続けるというものでした。
もちろん、「教えに従おうとしない」といっても、どのような教えに従おうとしないのかという問題によって対処方法も変わることはあると思いますが、「その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい。」と言われています。主イエスは、「あなたの敵を愛せよ」(マタイ5:44)と言われましたが、こちらも相手を敵とみなすのではなく兄弟(隣人)として愛することを教えていると言ってもよいでしょう。
神が愛しておられるように、愛することが求められています。
祈り
天の父なる神様、教えを守ることが出来ない人のことが記されていましたが、自分自身が教えを守れない者ではないのか、しかし、そのような者のために神はキリストを十字架につけてくださり、私の罪を贖ってくださったことを覚えて感謝いたします。自分を愛するように隣人を愛することが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。